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Jeju, Island of World Peace 컨텐츠
Titles [Jeju, Island of World Peace] (No.1 | December 2018)_ 世界人権宣言70周年と済州4・3
Writer JPI  (admin)
2018-12-20 오후 2:58:17

世界人権宣言70周年と済州4・3


 

 

 

チョ・ベッキ(済州特別自治道議会政策諮問委員)

 

今から70年前、1948年12月10日パリで行われた国連総会で、全会一致で世界人権宣言が採択された。これは、人類歴史上最も残酷であった2回の世界大戦と、特にホロコースト(The Holocaust)で代表される戦争と虐殺に対する人類の反省を促し、全ての人間の基本的な権利を尊重すべきであるという1945年国連憲章の趣旨を具体化したもので、人類が生み出した最も美しい約束として評価されている。
世界人権宣言を採択するため、世界各国の代表らが熾烈に論争を繰り広げた当時、世界の辺境であり、韓半島の辺境である済州では、島民らに対する無差別的な弾圧と虐殺が始まっていた。当時、韓半島は日本の圧制から抜け出すことができ、主権を取り戻したが、米国とソ連軍が南と北に入り込み、北緯38度線を占領ラインとして駐屯することになり、望んでもいない分断の状況になった。国内の政治指導者らは、左右に理念が分かれて対立し、米国とソ連は冷戦の対立が深まった。結局、解放3年ぶりに国連の決議によって現実的に可能な韓半島の南側の半分のところだけで総選挙が行われたところ、「大韓民国」政府が樹立される。引き続き、北側からも「朝鮮民主主義人民共和国」というさらなる政権が発足されることで、分断は固まっていった。
世界人権宣言を採択するため、世界各国の代表らが熾烈に論争を繰り広げた当時、世界の辺境であり、韓半島の辺境である済州では、島民らに対する無差別的な弾圧と虐殺が始まっていた。当時、韓半島は日本の圧制から抜け出すことができ、主権を取り戻したが、米国とソ連軍が南と北に入り込み、北緯38度線を占領ラインとして駐屯することになり、望んでもいない分断の状況になった。国内の政治指導者らは、左右に理念が分かれて対立し、米国とソ連は冷戦の対立が深まった。結局、解放3年ぶりに国連の決議によって現実的に可能な韓半島の南側の半分のところだけで総選挙が行われたところ、「大韓民国」政府が樹立される。引き続き、北側からも「朝鮮民主主義人民共和国」というさらなる政権が発足されることで、分断は固まっていった。​

 

しかし、済州は韓半島の南側で唯一、総選挙を拒否することで、あまりにも残酷な結果を伴うことになる。その拒否の結果が、済州4・3である。解放直後、急激に増加した人口と高い失業率、食糧難とコレラの拡散まで重なった社会経済的な不安と、米軍政の米穀の収集政策の失敗によって、済州地域の理念的葛藤と政治的混乱は、とうとう済州4・3の破局につながることになる。済州4・3の導火線になった1947年3月1日「3・1節記念済州大会」で警察の発砲により6人が死亡し、6人が負傷する。責任者の処罰と再発防止を求める「3・10官民合同総ストライキ」全島民の参加と抵抗につながる。これに対し、米軍政は軍隊と警察を率いて、違法逮捕、監禁、暴行、拷問など力づくで弾圧し、はなはだしきに至っては「西北青年団」という右翼の一団のテロと蛮行を助長するなど、ゼネストに強硬対応した。結局、1948年4月3日の開け方、済州の民衆の抵抗の狼煙が赤く燃え上がったのである。

このように、第2次世界大戦の全勝国である米国とソ連が主導する国連では、戦争と虐殺に対する人類の反省を促し、人間の基本的な権利尊重のため、世界人権宣言という「国際的なマグナカルタ(Magna Carta)」を作っていたが、世界の辺境である東アジアでは、済州の4・3はもちろん、台湾の2・28、沖縄など米国が主導する冷戦秩序の構築過程で、国家暴力によって数多くの民衆らが犠牲になった悲劇的な事件が起こった。東アジア民衆らの固有の尊厳性と平等で譲渡できない権利は、国家によって徹底的に破壊された。これらは数年間持続された残酷な虐殺の時間から生き残らなければならなかった上に、やっと生き残った人々は、数十年近く沈黙を強要されながら、かたずを飲んで過ごしていた。半世紀が経った現在、直接的な暴力は終わったが、真の意味で東アジアの平和と人権は戻ってきていない。一部の真相究明が始まったが、過去は依然として韓半島と東アジアを支配しており、東アジアの平和と共同繁栄を妨害している。済州4・3の悲劇が済州に限った問題ではないように、台湾と沖縄など東アジアの民衆の悲劇は、東アジアを越えて全世界が共に傷んで、解けていかねばならない全世界的な人権問題である。

 

「反乱の島」済州が今年になって、より注目を浴びている。済州はもちろん、ソウルの光化門広場をはじめ、全国20地域に焼香所が設けられ、追悼祭と文化行事が開催されるなど、追悼の雰囲気が全国的に拡散されている。済州島は「4・3、70周年2018済州訪問の年」に合わせ、4・3の痛みを和解し、相性でき、平和と人権の未来価値で、全国民・世界人と共に4・3、70周年を記念するために4・3追慕慰霊・文化芸術・学術・交流協力・世代伝承の5つの分野の135の事業を推進している。官民レベルでも島内69の4・3関連団体からなる4・3、70周年記念事業会を中心に、全国単位の市民社会団体と文化芸術界、労働界、学界、女性団体などと共に、4・3、70周年の記念事業を繰り広げている。これは、済州4・3に残された課題を解けるため、済州全体の力量を集中していこうといういい意味であるのであろう。
しかし、「行事のための行事」にならないように、済州4・3の真相究明と、犠牲者の名誉回復と賠償と補償、責任者の処罰など、4・3の完全なる解決のための努力も疎かにしてはいけない。4・3に対する真相究明と犠牲者への名誉回復が、単純に誤った過去の事実の適示にとどまってはいけない。より根本的には、長い沈黙と恐怖から離れて、一人一人が経験した胸の中の痛みと悲しみを、自分の口から他の人へむき出しにして話し、我々は彼らの痛みに耳を傾け、共感し、支持と連帯を通して人権に対する無視と軽蔑で踏みにじられた個人の尊厳と価値を取り戻せるようにすることが真の治癒であり、真相究明である。

 

我々は世界人権宣言が実現しようと約束した普遍的人権の尊厳と権利が尊重される美しい世の中を作れるのであろうか。70年前作られた世界人権宣言は、当時の時代の産物として、今日の視線から見ると、多くの時代的限界を持っている。シリア、ミャンマーなど、今現在も全世界各地で広げられている戦争と虐殺はもちろん、増大する貧困と不平等の前で、人間の尊厳と価値は無気力すぎるのである。それにもかかわらず、我々は「歴史は進歩する」は楽観的な認めで、よりいい社会を作れるために力を注がなければならない。その一つが、我々が経験した過去の歴史から学ぶということである。単純に、歴史的な事件や概念を並べながら紹介する、固まった知識教育になってはいけない。我々が過去の歴史を学ぶのは、現在と未来を新しく使うためである。

 

カンジョン(江汀)村のクロンビを爆発し、村の住民たちの生活のよりどころと共同体を破壊してまで建設されたカンジョン海軍基地は、自然と人間に加えられた、さらなる形の国家暴力である。第2空港建設推進と共に、持続的に行われている済州島の軍事化など、現在済州が抱えている問題を無視したまま、和解と相性、平和と人権の価値は華麗な言葉に過ぎない。世界人権宣言の全文によく出ているように、人々が暴政と抑圧に対抗する最後の手段として、反乱に訴えるように強要されなくするためには、人権が法による支配によって保護されることが必須である。済州島民は、済州4・3の歴史を通して、人間の基本的な自由と尊厳を抑圧する権力と不意に抵抗して立ち向かうことが正義であるというのは、誰もが全身で覚えている。この土地の済州と、さらに一歩進んで韓半島と東アジアに、再び済州4・3のような悲惨な歴史が繰り返されないようにすることが、現時代を生きている我々の使命である。済州4・3は大韓民国の歴史であり、世界の歴史である。