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Jeju, Island of World Peace 컨텐츠
Titles [Jeju, Island of World Peace] (No.2 | December 2018)_ 4・3和解精神で南北のもつれた糸が解けるように
Writer JPI  (admin)
2018-12-20 오후 3:07:31

4・3和解精神で南北のもつれた糸が解けるように

 

 

  

済州4・3平和財団

理事長 ヤン・ジョフン

 

途方もない民間人の虐殺をもたらした済州4・3事件の元は、韓半島の分断と冷戦である。分断は米国とソ連が、韓半島を横切る北緯38度線を引くことから始まった。38線の国際法的な根拠は、日本軍の武装解除であった。従って、日本軍の武装解除が終わった1945年末、38線の設置根拠は終了した。
この事件を素材に、詩を書いたり、小説で作品を発表した文人らは拘束された。それにもかかわらず、真実を明かそうとする人々の努力は続いた。ついに、2000年この事件の真相を政府レベルで調査するための済州4・3事件真相究明特別法が制定された。国務総理を委員長としてする政府調査委員会は、2003年「国家権力の人権蹂躙」を明かした真相調査報告書を確定した。犠牲者の数も25、000~30、000人に推定された。
結局、済州島民らもここに巻き込まれた。1947年3月1日に発生した警察による発砲事件に総ストライキに立ち向かったところ、激しく弾圧された。1948年には統一を志向する「分断反対運動」に出た結果、残酷な刃傷沙汰に及んだのである。
1948年5月10日、南側だけの単独選挙が施行された。しかし、この選挙で済州島だけが投票率が過半数に達せず、無効になった。ショックを受けた米軍政は、米軍の大領を済州地区の総司令官として派遣し、再選挙のため強力な鎮圧作戦を繰り広げた。しかし、6・23再選挙も失敗になった。これで、済州島は米軍政が実施した単独選挙を拒否した南側の唯一の地域として歴史に残ることになった。
1948年8月に発足した李承晩政府は、米軍の支援の下、済州島の中山間村を焦土化する鎮圧作戦を展開した。政府軍は民間人らを大量に虐殺し、中山間村の95%以上、家屋の4万軒を燃やした。子供と老人など数万人の善良な住民らが犠牲になった。
済州は、昔から泥棒、乞食、門がないとして三無と呼ばれた。やせ地である自然環境の中、貧乏ではあったが、家族団らんで助け合いながら過ごしてきた。このような順風美俗の共同体も徹底的に破壊された。
済州の歴史上、最も悲劇的なこの事件は、半世紀の間、済州はもちろん韓半島で「なかった歴史」のように禁止された。過去、李承晩政権と軍事政権は、この事件を「共産暴動」と歪曲規定し、地下に閉じ込めてしまった。遺族らは、家族が殺されたにもかかわらず、無念の思いを抱いたまま、一言もせず、祭祀まで息を殺しながら行うしかなかった。
この事件を素材に、詩を書いたり、小説で作品を発表した文人らは拘束された。それにもかかわらず、真実を明かそうとする人々の努力は続いた。ついに、2000年この事件の真相を政府レベルで調査するための済州4・3事件真相究明特別法が制定された。国務総理を委員長としてする政府調査委員会は、2003年「国家権力の人権蹂躙」を明かした真相調査報告書を確定した。犠牲者の数も25、000~30、000人に推定された。​

 

当時、廬武鉉大統領はこの調査結果に基づいて、過去の国家権力の過ちを、済州島民と4・3遺族らに公式に謝罪した。過去史に対する真相調査報告書と大統領の謝罪は、我々の歴史の中では初めてのことで、4・3の名誉回復に大きな一線を画しただけでなく、大韓民国が人権国家として踏み出せる切っ掛けとなった。
南側と北側の絡んだ糸も4・3が繰り広げる和解精神で、一つ一つ解いていくことを願ってやまない。4・3の70周年を迎えた今日、分断を克服し、韓半島の統一を求めた当時の済州島民の願いを叶えてほしい。さらに、済州4・3が大韓民国の堂々とした歴史として覚えられるようになってほしい。
特に、廬前大統領は「4・3という歴史的な大きな痛みを取って、過去史整理の普遍的な基準と言える真実と和解の過程を経て、克服していく模範が実現できたためである」とその意味を加えた。真実と和解、それが4・3の問題を解く新しい鍵になったのである。
「ここに来て頭を下げろ。全員が犠牲者であるため、全てを許すという意味で、みんなが一緒にこの碑石を建てるから、死者はどうか目を瞑って、生きている者はお互い手を結べ。」
済州島のハギ里という村で、2003年護国慰霊碑と4・3の犠牲者の慰霊碑などを一つの場所で祀って、慰霊壇を作って建てた碑文である。慰霊らの大統合を通して、和解の未来を開く知恵を集めたのである。
2013年には、最も葛藤が強かった4・3遺族会と警察出身である済州警友会が条件無しで和解の宣言をした。これを契機に、済州島は4・3治癒のため、進歩と保守の壁を壊した上に、官と民が一つになった。一番難しいという理念の葛藤を克服しているのである。
延世大学校のパク・ミョンリム教授は、この現象を研究し、「全世界どこからも相互加害と被害、鎮圧と抵抗、官と民が一つになったところは見当たらない。済州はもう容赦と和解、相生の世界最高の学び場として近づいてきている」と宣言した。
我々は、今古い韓半島の冷戦構造を解体するため、重大な岐路に立たされている。そのため、もうすぐ開かれる南北と米朝首脳会議が、全世界の人から注目を浴びている。分断で南北の住民らがこれ以上被害を受けることがあってはいけない。
70年前、この済州の土地で倒れていった犠牲者らの念願は一つの祖国、つまり統一政府であったと思う。この視点で、我々が求めていかなければならないのは、韓半島の平和である。そのためには、信頼の回復が何よりも重要である。急いではいけない。
南側と北側の絡んだ糸も4・3が繰り広げる和解精神で、一つ一つ解いていくことを願ってやまない。4・3の70周年を迎えた今日、分断を克服し、韓半島の統一を求めた当時の済州島民の願いを叶えてほしい。さらに、済州4・3が大韓民国の堂々とした歴史として覚えられるようになってほしい。​